ジュリアス・シーザー
またはユリウス・カエサルとも呼ぶ。
古代ローマで最大の野心家であり、彼が布告し彼の名が冠された暦(ユリウス暦)は、紀元前45年から1582年まで1600年間以上に渡り欧州のほぼ全域で使用され続けた。
今回は、ジュリアス・シーザーを主人公としてシェイクスピアが描いた物語について。
数多くの翻訳が出ているが、安西 徹雄さんのものは、非常にわかりやすくて有名らしい。
確かにこれまで別の翻訳者のシェイクスピアの本を読んだ事があるが、比較してもこれは圧倒的にわかりやすかった。
正しい翻訳ってよくわからない。母国語ではない時点で、正しいニュアンスの解釈は不可能だし、翻訳も含めて自分なりに読み取れればいいじゃないだろうか。
あそこにいるあのキャシアス。痩せこけて、飢えた顔をしている。ものを考えすぎる。ああいう男は危険だ。
自身の暗殺を目論見むキャシアスを形容してシーザーが放つ一言。ひとを見る目というのはさすがという感じがして、まさに王という雰囲気が見える。
野望が権力の高みを登っていくとき、最初のうちこそ謙虚を装い、その装いを、いわばはしごとしてはいても、一旦最上階に達してしまえば、そんなはしごにとたんに背を向け、雲の彼方に目を凝らして、今まで登ってきた足元の階段など、卑しいものと見下すのが常。
これは誰にでも心当たりがある。
きっとどの瞬間の本人も本心だが、人は自分でも気づかない野心を秘めている事がある。
お前もか、ブルータス。
ついに人のこころを読む心眼も衰えたということか。
あいつの言うことにも、結構、理屈はあるような気がするな。
シーザーに扇動され、ブルータスにされ、そして最後にはアントニーの言うことを真に受ける。
市民はひたすら言われたことでコロコロと考えを変え、それによって社会が混乱していく。
彼を除いて暗殺者はみな、偉大なるシーザーに対する憎しみに駆られてことをなした。ただブルータス一人だけは、いささかの私情を挟まず、ひたすら公の大義のために、彼らの徒党に加わったのだ。
争いを巻き起こした主人公、シーザーとブルータス、この二人はひたすらに高潔だ。そして、その二人は、それを理由にして、周囲を巻き込んで死ぬことになる。