レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿を解読する
手稿から読み解く芸術への科学的アプローチ
レオナルド・ダ・ヴィンチは、何十もの驚くべき発見をし、流体力学や理論植物学、空気力学、発生学などの全く新しい分野を切り開いた。著者は、レオナルドの有名な手稿を読み返すうちに彼が先駆的なシステム思想家でもあったことに気づき、この新しい視点から見たレオナルドの全科学的業績について、徹底的に踏み込んだ調査を行った。そして本書で、レオナルドの科学は生きている形態や性質、パターンの科学であり、200年後に登場した機械論的な科学とは根本的に異なっていること、レオナルドがすべての生命の不変性に敬意を払うとともに、すべての自然現象に根本的な相互依存性があることを認識し、ミクロコスモス(人間)とマクロコスモス(生きている地球)を結びつけたことを明らかにしている。また、レオナルドの研究をガリレオやニュートン、さらに現代科学と比較することによって、レオナルドの先見性やレオナルドの科学が現代社会にとって持つ意を考察している。
書籍について
ダヴィンチの手稿、絵画から、彼の人生の探求を辿り、その発見をまとめた書籍。
下記の通りの章立てに分かれている。
1. 水の運動
2. 生きている地球
3. 植物の成長
4. 人間の形態
5. 機械工学の原理
6. 人体の運動
7. 飛行の科学
8. 生命の謎
水の運動
「空中での鳥の運動の科学を築くには、まず風の科学を築く必要がある」という。そして風の科学は、水の科学から発展する。
乱流の観察を通し、400年後に初めて体系化されるレイノルズ分解を定性的に発見している。
「髪の毛の動きとよく似た、水面の動きを観察すること。髪の毛の動きは2つある。一つは髪の重さによって生じ、もう一つはカールの方向によって生じる」
生きている地球
堆積に関する研究のなかで、イタリア北部のアペニン山脈の堆積岩に含まれる化石について調べている。
これらの生物が海から遠く離れた場所へ運ばれたのは、あの大洪水のせいだとする人々の愚かさ
と、それまでの理論を切り捨て、生きていた環境の中で化石化したことを示し、さらに山の形成プロセスに論考を進めていく。
植物の成長
「古代ローマ人やギリシャ人は植物は文字通り土を食べて、それらを栄養分とし、質量を増やすことで成長する」と考えられていた。
しかし、レオナルドはそれを批判的に調べ、小さな南瓜を根から掘り出し、水だけを与えることで成長することを突き止める。
太陽は植物に精気と生命を与え、大地は湿気でもってそれらを養う
この事実が明るみになるのは、17世紀を待つ必要があった。
人間の形態
有名な、ウィトルウィウス的人体図に代表される、レオナルドの人体の分析。
- 俺がヴィンチ村に訪れたときのモニュメント
「解剖手稿」の中で、「統合的な知識」の重要性を繰り返し、それぞれの解剖的部位を別々に描写することを「ぞっとすること」だと批判した
統合的な、すべてのものの関連を重視する姿勢が手稿の絵画にも現れている。
機械工学の原理
技術者として雇用されることもあったダヴィンチは、機械工学についての分析も先見の明があったようだ。
重い物体の自然運動は、一度の下降のたびに一度の速度を得る。
自由落下する物体の速度と時間の関係を推察しているが、ガリレオを待たねばならない概念だった。
人体の運動
聖アンナと聖母子は一つの連続的な流れと優美な身振りが融合された作品として有名である。
そして私はこれほどまでに甘美な死の理由を探るために彼を解剖した
飛行の科学
ダヴィンチが飛行の科学を推し進めたのは晩年になる。
彼の結論は、人は飛ぶことができる。ただし上昇するのは難しいから、どこかから飛びながら降りていくこと、だった。
大きな鳥はチェーチェリ山から最初の飛翔を行い、世界を驚きで満たし、すべての書物をその名声で満たし、それが誕生した巣に永遠の栄光を
生命の謎
毎日破壊される分と同じ分だけ生命は再生する。
これは、ろうそくの明かりがろうそくの液から受け取る栄養分から作られているのと同じである。
生物がエネルギーと物質の継続的な流れを供給する必要がある「開放系」であるという定義は、400年後に明らかになるものだった。
ろうそくの比喩は現在でも使われるもので、以前に読んだ「ろうそくの科学」が教えてくれることでは、ファラデーが利用している。
メモ
- 手稿、絵の美しさは圧倒的だと感じる。見れば見るほど好きになる。
- ダヴィンチが何者なのか、という質問に答えることは難しい。少なくとも、本人はその質問に対する答えには興味なかったのだろうなと。
- すべてが自己完結だったのだろうか。なんのための探求なのか、という疑問が残る。
- 多くの驚異的な発見があり、それが絵画、そして発明に生かされていたことは事実であるので、その動機、手法をもっとトレースしたい。
- 現代にダヴィンチがいたら、どう生きるのだろう。